kira kira lifeは、オレゴン州アシュランドのアレックスとシーダーが設立した「エクアドラス・ハット」の商品を取り扱えることを、光栄に思っています。
2008年、アレックスは高校三年生の一年間をロータリー交換留学生として、エクアドルのキトで過ごしました。アレックスがアシュランドを去る前、ゴッドファーザー(教父、名親、代父のこと。アメリカでは、生まれた子の洗礼式に立ち会って名を与え,霊魂上の親として宗教教育を保証する人をゴッドファーザー、ゴッドマザーと呼びます)であるシーダー・ミラーは、その年中にエクアドルを訪れてアレックスをサーフィントリップに連れて行く約束をしました。肉親以外は留学生を訪問できないというロータリーの規則があったものの、2009年の春、ゴッドファーザーのシーダーとアレックスは、アレックスのホストファミリーを説得し、二人はモンタニタの小さな海岸沿いのサーフタウンに向かいました。
そこである朝、二人が朝食を食べている時、編まれたベースボールキャップを棒に吊り下げて道を歩いている一人の男性に気づきました。二人は、その帽子をとても気に入り、三つ買いました。アメリカに帰って1年以上もその帽子をかぶった後、アレックスとシーダーは、その帽子の素晴らしさを実感したのです。シーダーの裏庭にあるレッドウッドの木の上で、二人はこの帽子をもっと手に入れることを思いつきました。シーダーはアレックスにエクアドルへの航空券を買い、帽子の織工に会って、できるだけ沢山の帽子を買って来るように指示しました。
アレックスはちょっとした探偵活動をし、そのベースボールキャプの編み手の名前を探し当てました。早速その村を訪ね、フェリックスとダイアナ夫妻に会い、アレックスの残り数日しかない滞在期間に、帽子をいくつ作れるかと尋ねました。彼らは友達を雇い入れ、この短期間になんとか83個の帽子を作りました。
アレックスとシーダーがこのプロジェクト(ビジネス)を本格的に手掛けるまでに1年かかりました。2012年の夏、アレックスはオレゴン・カントリー・フェアに帽子を持って行くと、自分がかぶっていた帽子まで、全て売りつくしたのです。その秋、彼らは夢を大きく持つことを決心し、アレックスはこの事業に関るすべての人々をサポートできるようなビジネスを始めるために、再びエクアドルに戻りました。
これらの帽子は、エクアドル、サンタ・エレナ州にある小さな村で作られました。この地域の経済は、主に農業と漁業で支えられていますが、エクアドル海岸の中央部と北部全域に続くルタ·デル·ソル(太陽の道)ハイウェイが最近完成し、国内や海外からの観光をより盛んにしています。
編工が働くこの村は、ハイウェイと海岸の間にあり、ルタ·デル·ソルに関る政府による開発を逃してきました。にもかかわらず、コミュニティー開発は続けられ、この小さな海岸の村は、徐々に独自の経済的ニッチを切り開いています。
長年に渡り、土のサッカーフィールドでサッカーをしてきたサン・アントニオの人々は、彼らのサッカーフィールドを芝生で覆うことにしました。ゆっくりと草を移植し、育て、1年がかりでこの地域唯一の芝生のサッカーフィールドを作ることができました。アレックスとシーダーは、アメリカの上質のサッカーボールを提供し、サンアントニオのサッカーチームに新しいユニフォームを贈りました。